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光の庭への想い

新作ドレスを製作中

コロナの影響で、もともとのイベント・広告関係の衣装製作が すべてキャンセルになっています。

この春の時期だと モータースポーツのレースクィーン。展示会コンパニオン。街でのサンプリングコンパニオン。

仕事のために着用する衣装製作が 新年度に合わせて目白押しのはずでした。

私の長年の仕事ですが、こんなことは初めて。リーマンショックの時も何かしら仕事は動いていたもの。

3月の所沢の球場スタッフの追加ユニフォーム納品を最後に、すっかりワイツープランニング(衣装製作の会社)の仕事は停止中。

なので、この機会になかなか手に付かなかった「新作ドレス」を製作しています。

 

今回は、限定デザインのドレスをいくつか作ってまいります。どのデザインも1着~3着くらいしか製作しません。

「パール」がメインのドレス。「レース」の美しさを強調したドレス。

ベールやポーチなどもコーディネートを凝らしたドレス。

ワクワクしますね~~。

 

今までの光の庭のドレスは皇室の方がお召しになっているような「フォーマルドレス」を強く意識してデザインをしていましたが、今回のドレスは「華やかなドレス」を目指しています。

ウエディングドレスのような「華やかさ」。

作っていてもワクワクいたします。

 

コロナの影響で スタジオ撮影が難しい状況です。どのようにご紹介できるのか考え中ですが、もう少し待ってくださいね。

 

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花は咲く 初めての死装束

渡辺貞夫さんのコンサートで、必ず演奏されている「花は咲く」

東日本大震災のチャリティソングなので、いろんなところで演奏され、よく知っている曲だと思います。

 

ナベサダさんのコンサートは世界のトップジャズマンか集結したカルテットで、ツアーごとに参加メンバーが変わり、アレンジも変わります。

2017東京JAZZの時は、最初のピアノのイントロが長く、煌めくような美しいアレンジでした。

昨日のRE BAPツアーのアレンジは、しっとりと歌い上げるような演奏でした。

 

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ナベサダさんの「花は咲く」の演奏を聴きながら、初めて気が付いたのは、東北の震災の時に「最初の死装束」を作っていたことです。

まだ、震災から1週間か10日ほどだと思います。

Tシャツなどを作っているアパレルの知り合いが インターネット上にアップしていた情報です。

<被災地から頼まれたもの>

・ホテルなどでもらえる 櫛やヘアブラシ

・サンプルや使わないファンデーション、口紅

・風呂敷ほどの大きさで白い布 真ん中に頭が通るほどの十字の切り目を入れてほしい

などなど

他にもあったと思いますが、上記はご遺体に必要なものとしてありました。

 

ご遺体袋の中は、着衣を全部脱がして、衣服は外に置いているそうです。

洋服は身元確認の重要な情報なので、泥を洗い落として置かれたようです。

お顔の確認のために、袋の口をあけると裸体のままのご遺体と対面することになります。

せめて見える肩周りだけでも、白い布で暫定的に覆ってあげたいという、ご要望でした。

 

会社にある白い生地を1mほどの四角に切り、ドンドン十文字に真ん中をカットしていきます。

あの時の日本中の人は、「何か自分にできることはないか」という気持ちでした。

自分たちが出来る事を教えてもらって、必死で作っていたのを思い出しました。

 

まだ、死装束の事は頭にあっても、どうしていいか全く手つかずの頃。

具体的なデザインも何もない頃でした。

あの、四角い布もそういえば死装束という事になるわと、

「花は咲く」の曲を聴きながら、あのころを思い出しているときに気が付きました。

私が最初に作った死装束です。

 

 

 

 

最初に作ったドレス「百合」⑤

主宰の杉下です。

「百合」について話していると、まだまだ伝えたいことがあります。

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足元です。

ドレスの裾は リバーレースなのでレースの形状のまま放たれています。アンダースカートがちゃんとありますので、足が見えることはありません。

右下から覗いているのは 布ブーツです。薄い中綿を入れて、足を包むようにいたします。

つま先部分に レースを縫いつけています。 足先まで美しくエレガントです。

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最初に作ったドレス「百合」④

主宰の杉下です。

もう少し「百合」の話を続けたいです。

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肩を覆うケープです。

シャンタンという素材に 薄く中綿を入れて、ふっくらと作っています。

シャンタンは、もともとはシルクで作られる素材です。今はポリエステルで復元されていますけどね。

山蚕(やさん)という、屋外で暮らす天然の蚕が紡いだ糸は太くなったり細くなったりワイルドなんです。

その糸をを織り上げると、途中で急に太くなったような斑の盛り上がりのある生地になります。

絹の持つ内側から光を放つような光沢。フォーマルな素材として最高級なものです。

ポリエステルでコピーしたシャンタンを使って、美しいモールやレースを配して、コットンパールを載せました。

お顔回りを明るく、エレガントにいたします。

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最初に作ったドレス「百合」③

主宰の杉下です。

今日も 百合の話をいたしましょう。

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首元には 長くて美しいレースをたっぷりつけました。

横たわっていても、あごを覆い、唇の下あたりまで届きます。

首回りの傷も見えません。やせてしまった頬も分かりません。

美しい目元と、鼻筋、そして唇を引き立てます。

中世のマダムのような、凛とした美しさ。

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最初に作ったドレス「百合」②

主宰の杉下です。

今日も、「百合」の話です。

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ご遺族の方が、お着付けに参加できるドレスを作りたかったので、手元にリボン。

お母様やおばあ様に声をかけながら、「おばあちゃま、大好きだったわ」と、お孫様が結んであげることもできます。

御仕度を手伝うことは、大きな癒しにもつながる事。

手の甲を覆う美しいレースと手首のリボンで、美しく装わせてください。

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最初に作ったドレス「百合」①

主宰の杉下です。

一番最初に出来たエピローグドレスが「百合」です。

すこし、百合の話をしましょう。

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エピローグドレスを作ることを決めて、2年ほど、たくさん試作を作っていましたが、なかなか思うものができず、試行錯誤をしていました。

その時、「全身リバーレースのドレス」が作りたくなり、生地を探し始めると、イメージ通りのレースに出会いました。

そして、私の母を想いながらデザインすると、スルスルと絵が描け、あっという間にイメージが固まります。

最初のデザイン画とはだいぶ違ってきましたが、エピローグドレス第一号の「百合」が、出来上がったのです。

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クライアント様のフロントにて

光の庭 スタッフです。

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会社のイメージPVを見ながら何やら楽しそうです。

何か閃いたのかな。

小さな情報もキャッチして、デザインに反映させるのです。

グリーフケアという言葉をご存じですか?

かつて、天野祐吉さんや藤圭子さんが、葬式というセレモニーが無いままという

報道がありました。

どちらもご本人の遺志ということで ご遺族が尊重してそのように取り計らったと

報道されています。


この報道で、あらためて「葬儀」ということを考えました。
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ご遺体が遺骨になって家に戻ってきた時、遺族は大切な人を亡くした事と日常の中で

向き合っていきます。


遺族の悲しみや喪失感を癒すのは、「日にち薬」といわれる時間だけではありません。

想いや気持ちをいろんな方と共有して、癒していく事も大切だと思っています。



私は19歳の時に父と死に別れました。父は突然死でした。

週末の朝、倒れたまま即死と判断され救急搬送もされず、自宅で死亡確認がされました。

そのまま、町内会に教えてもらった葬儀社に連絡をし、自宅で通夜、葬儀会場での葬儀が

執りおこなわれ、慌ただしい1週間が過ぎていきました。


思考回路は停止し、泣くことも出来ず、呆然とたくさんの人が出入りして事がすすんでいくのを

観ていたように思います。


その時間の中でとても印象的なのが、会葬して下さった方々が話してくれた父のことです。

父の年賀状でしか知らない大学時代の友人から、スキーに夢中だった話を聞き、

職場の部下の方からは「仏の○○さん」呼ばれて頼もしい上司だったことを教えてもらい、

父の叔母からは父が生まれたときに家族がどれだけ喜んで長男の誕生を

祝ったかを話してくれました。

 


両 親の結婚当時まだ小学生だった私の叔母(母の妹)を、男兄弟しかいなかった父は

初めてできた妹として、とても可愛がっていた事、母の弟3人(私の叔父)は

カッコイイ兄貴が出来たことがとても嬉しかった事など、

お通夜の時間、火葬場での待ち時間にいろいろと話してくれました。


生き生きとした父の人生。

私の中の父とは、また全然違う父を知ることが出来ました。


私には葬儀が終わってからの1週間の記憶がありません。

寝込んでいたそうです。


母もまた、何も受け止められない不安定な精神状態だったのでしょう。

大黒柱の父を亡くした42歳の母を心配して、祖母が1ヶ月ほど滞在してくれました。


祖母と母と兄弟と、父の話をたくさんしました。

ホントにたくさんしました。


新しく知った私の知らない話も、あらためて母や祖母からも聞きました。

同じ想いを共有しているので、遠慮も何もなく、怒ったり、泣いたり、笑い転げたりしながら

父のことを家族のことをたくさん話したと思います。

 


ファザコンでしたので、父が大好きでした。

でも、父を失ったという感覚が私にはありません。


いまでも父への想いで心は満たされています。

それは、葬儀の場でたくさんの人から教えてもらった生き生きとした父の人生が

あるからだと思います。

そして、父への想いを家族で共有できた、たくさんの話し合いがあったからです。




50歳という働き盛りで逝ってしまった父の葬儀はホントにたくさんのご会葬をいただきました。

会社関係、友人、弟のボーイスカウトの関係、近所の方、親戚縁者・・・・

いろんな方が送って下さいました。


まだ学生だった娘には、ほとんどが知らない方ばかりですが、それが父の生きてきた世界なんだと

感じていました。


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私は、大切な人を送るときは、是非「葬儀をして欲しい」と思っています。

葬儀をされる本人よりも、残される人にとって必要な時間だと考えています。

棺の蓋が閉まる時、その人と共に歩んだ時間が終わることを知ります。

そして、次の時間に向かって歩み出さなければいけないのです。

そのための起点になるのが葬儀です。
 


また、私の人生の中で出会ったたくさんの方達。

そのお別れの場の葬儀に是非行きたいのです。


「ありがとう。」と伝えたい。

そして、どんな付き合いだったか遺族の方に伝えたい。

「素晴らしい人だったのよ」って。


なので、私は直接ご縁が無かった方の葬儀にはほとんど伺うことがありません。


葬儀は 残された人達のためにあるのです。

宗教がある人は宗教の儀式で。

無宗教だとしても、お別れの儀式として葬儀を考えて欲しいです。



「葬儀は残された人達のためにあること」を覚えておいて欲しいのです。

これから死ぬ人は、簡単に「葬儀はしない」という選択を遺族に与えないで下さい。

故人の想いを叶えたいのが遺族です。

そう言われてしまっては やりたくても出来ないじゃないですか。

 


「義理の会葬を回避するために葬式をしない」
 

「家族が知らない人ばかり来ても可哀そうだからやらない」ということなら、

生きている今、事前に葬儀社と相談してみる事をお勧めします。


ちゃんとした葬儀社なら、いろんな方法を一緒に考えてくれます。

分かり合える葬儀社を探して何軒も聞いてみたり、友人の口コミなどで

探してみたりできるのは、急いでいない今だからです。



また、どうすれば良いのかを、私も貴方と一緒に考えて、お手伝いする事が出来ます。

想いを整理していけば、漠然としている事がはっきりと見えてきて、愛する人達にとって

最適な方法を考えて行動することが出来るようになっていきます。

 

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エピローグサロンをつくる その3

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<安心の人生の最終章をすごしたいのよ>

最初は死装束のドレスをつくりたくて考えてきたエピローグサロンでしたが、

お客様の考える先にあるのはドレスだけではないことがわかってまいりました。

その最期にむかって、やれることはほんとにたくさんあります。

 

様々な心配事がたくさん詰まっているのがエピローグ(最終章)の時期です。

「老後」といわれるのか、「人生の最終章」ととらえるのかで人生の輝きが違ってきます。


 

家族に負担をかけたくない。

一人だけど、きれいに旅立ちたい。

いろんな想いを解決できる情報を集めて、一緒に検討し解決できるサロンになってまいります。

 

私も税理士や司法書士の先生方が開催するセミナーにも積極的に参加いたしました。

相続、遺言、介護などを法律に基づいた情報を学んできました。

お客様のお話に、井戸端会議のような根拠のないご提案をするわけにはいきません。

そして、今でも情報を集め続けています。

 

たとえば、先に肉親を送ったことがある人は、なおさら最終章の準備をしていないと

大変な事がわかっています。

身体の事、お金の事、様々なことがままならず、家族のサポートなくしては暮らせない世代を

送った人はなおさらです。

介護保険ができる前は家族の力がすべてでした。


 

延命治療にしても、家族に判断を任せるにはつらい場面もたくさんあります。

せっかく「ころり信仰」をしていても、倒れていれば救急車を呼んでしまうのが人情で、

そこから過酷な延命治療が始まることもあります。


 

一昔前なら、医療がここまで進んでいなかったので、特に本人の意思を家族に伝えなくても

そのまま逝けたのです。

自分の身体に対しては、そして命に対しては、どうしてほしいのでしょうか?

ちゃんと伝えておきましょう。

 

核家族化がすすみ、一人で老後の時間を暮らす人がとても増えました。

いつ、転んで動けなくなるかもしれない。

知らないうちに認知症になっているかもしれない。 

そんなことを心配しながら暮らしていく事は楽しくありません。


 

最期までの資金と思っている貯蓄を認知症で無くしてしまったらどうしよう。

成年後見ってあるけど、いつから、誰にお願いするのかしら・・・・・

ホントに、わからないですよね。


 

一人暮らしの最期をきちんと始末したい、と考えている人は、葬儀、埋葬、財産の処分、

荷物の片づけなどをすべて引きうけてくれるシステムもあります。

いまはそのような事にも対応できる会社やNPOが出てきました。

一緒に検討しましょう。

 

心配なことは一つ一つ解決していきましょう。

それに関しては、早いことも、遅いこともありません。

今決めて30年後に使うこともあるんです。

 

最期は施設に入りたいと考えていれば、40代からの資金計画も必要です。

たとえば今は不動産を購入してそこに住んで、その後は売却して施設の資金にする計画。 

そのためにどのように資金計画を立てて行けばいいのでしょうか。

やみくもに節約していても、今の時間が辛いだけで、どこまで貯めればいいのかもわからず不安。

そういう時はファイナンシャルプランナーのプロに相談します。

 

家族に相続のことで苦労を掛けたくないと思えば、生前からいろいろと

相続に関しての対策もあります。

そういうことは税理士さんと相談できます。

 

自分でできる事、弁護士や司法書士に頼まなくてはいけない事、新たなサービスとして

次々と生まれてくる組織も、ちゃんと検討して考えられます。

 

何がわからないのかも、何から始めればいいのかもわからない場合は、

一緒にエンディングノートを記入しましょう。

自分の人生を見直して、次に進む事が出来ます。

それから考えれば大丈夫です。

 

ここには、そのためのプロやサービスの情報が集められているのです。

 

「エピローグサロン光の庭」は、かつて老後といわれた時代を、

前向きに積極的に暮らしやすくしていくためのサロンなのです。

 

老後という言葉はいりません。

音楽や小説のように、人生の最終章の始まりです。

 

自分の人生を 光あふれる明るく幸せに満ちたものにするためのサロンです。

 

 

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